はじめまして

わたくしは、

いくらと申します。

とある地方の街に暮らしている、アラフォーの兼業主婦です。

しがない人間なんですが、そんなわたしの人生もそれなりに山あり 谷ありでして。特に「お金のやりくり」に関しては、今振り返ると「あ〜ぁ、あのときこうしていたらなぁ」と悔やまれることが本当に多いです。情けない。

ですが、そんな底辺な金銭感覚の持ち主だったわたしでも今日までなんとかやりくりしてこれて、裕福ではないけれどまぁまぁ楽しい暮らしをさせてもらっております。

最近は結婚もして新しいステージに進んだので、せっかくこんなに面白かったり楽しかったり腹が立ったりするワチャワチャがあるなら、あとでクスッと笑えるように残しておきたいなと思ったのと、やりくりに悩んでいるどなたかの参考になったらうれしいなと思って日記がてら生活のあれこれをお披露目させていただいております。

わたしの履歴書

昭和●年日本のとある小さな町で、おぎゃーと生まれれる。
平成●年おかげさまで健康にすくすくと成長する。わりと厳しい家庭で幼少期より「あととりだぞ!」と刷り込まれて育ったためか大人の顔色をうかがう子であり、それゆえ文武両道のいわゆる「優等生タイプ」だった。
平成●年優等生は、学生になってからも継続。「あ〜ぁ、暇だから勉強でもしよっと!」との発言が、当時もっぱら遊び呆けていた兄弟を震撼させたひとこととして今も語り継がれているとかいないとか。
平成●年そんなこんなで「お金ないから国公立だけよ!」と厳しくいわれていたこともあり都会の某国立大学へストレート合格し、大学デビューっぽく楽しい学生生活を満喫する。
平成●年特にこれといった将来の目標もなく「ただ、いい点をとるのが楽しい」というゲーム感覚で大学まで進学できてしまったため、気がついたら手段が目的となったままいい歳になっており、超・売り手市場と言われていたタイミングだったのにもかかわらず就活にめちゃくちゃ苦戦する。
※しかもおちゃらけているような先輩が実はしっかり将来を見据えていたりしたため周りが羨むような大企業から内定をもらっていた。そのおちゃらけ部分しか見ていなかったわたしは「就活、余裕そうやな」と自分に何が足りないのかまったくわかっていなかった。今でも思う、穴があったら入りたい案件である。
平成●年それでもなんとか、いわゆる「大企業」に内定を頂き社会人デビューする。
平成●年6年も大切に育成されかわいがってもらった(嫌味ではない)が全国転勤がしんどくなり、一度目の転職をする。
平成●年地元と東京に勤務地がある会社で働きはじめる。ベンチャーだったので「大企業にはできないことをやってるんだよね、ボクたちは(君の感性では無理だろうけど)」と、社長はじめプロパー社員たちからなぞのマウントをとられムカつくことが多かった。
※そうとう悔しかった思い出が多いのか、今でも夢にでる。成仏せよ。
平成●年なんだかんだまた6年勤めたが、そこではっきりと「ここまでだな」という諦めがついたのと、本当に自分がやりたいことがスーーーーーーンと光の道のように見えたのとで、会社を辞める。
令和●年無職の間に令和になった!有給消化最高。大人の夏休み。
※やはり、お金のなさ・時間のなさ等々ひっくるめて「人生における余白のなさ」はひとの判断を鈍らせる。ゆとりは大事。
令和●年婚活にせいを出してみる。
令和●年専門学校で最低限の資格だけ取得し、とある介護施設で働き始める。
令和●年アプリのおかげで恋人が爆誕する。
令和●年あれよあれよというまに結婚する。
令和●年実務経験3年積んで介護福祉士国家試験を受験し合格する。
晴れて、介護福祉士となる。
令和5年今に至る。
わたしの履歴書。

わたしの装備

運転免許

日商簿記3級

ファイナンシャルプランナー3級(2023年度中に、簿記orFPは2級にレベルアップしたい)

介護福祉士

英会話少々(海外旅行を必要最低限の会話で乗り切れるレベル、QQEnglishで再学習をはじめました)